奇跡のリンゴ、不可能と言われたリンゴの自然栽培を成し遂げた木村秋則さんの著書で、
ちまたではオカルト本とも噂の、奇跡を起こす 見えないものを見る力を読みました。
なんと言ったらいいのだろう。
適切な言葉が見当たらない。
単なる野菜を無農薬、無肥料で育てるって話ではなくって、もっと壮大なスケールとでもいうのでしょうか。
木村さんは17歳の時に龍に遭遇し、
そのあとも宇宙人に遭遇したり、家族数人でUFOを何度も目撃したり、
宇宙人に連れられてUFOの中に入ったり
インフルエンザで死にかけたときに霊視体験であの世を見たり、運転中に助手席におにぎりのような形の幽霊を乗せたり、と
とてもにわかには信じがたいオカルト体験をたくさんなさっています。
そのときの体験のことも、この本に詳しく収められています。
だけどどれも、ただの偶然では片づけられないお話ばかり。
木村さんの宇宙人の話は、
一部では事実ではないかと言われている小説、アミ小さな宇宙人とも重なる部分があって
私にはそれがますます木村さんのお話が真実であることの後押しになりました。
これは、愛のレベルの高い星から、破壊や搾取を続け危険にある地球を救済しようとやってきた宇宙人のアミが、主人公の少年ペドゥリートをUFOに乗せて様々な星へ連れて行き、愛について説いていくというお話。
(アミの本の中で語られる肉食否定やツインソウルのお話は、これまたシルバーバーチとも重なる部分ばかりなのよね。ただの偶然にしてはできすぎてるって思うのだけれど。)
アミの話が真実だとすれば、木村さんは
環境破壊や、動物、人からの搾取ばかり続ける地球を救済するためにペドゥリートのように宇宙人から地球救済のためのメッセージの伝道師として選ばれた人なのではないでしょうか。
今や木村さんの自然栽培は、
農薬や化学肥料で収入をあげ続けてきたJAをも動かし、池に投げた小石のように、その活動がどんどん広がっています。
みなさんは、10アールあたりの農薬使用量が世界一多いのがどこの国かご存じですか?
なんと中国でもアメリカでもなくこの日本。
なにか大きなきっかけがなければ日本は若者が農業からどんどん離れて、食料自給率が下がり、農薬、化学肥料の使用が増え、土壌はますます汚染されていっていたことでしょう。
震災をきっかけに食の安全に関心をもつ方も増えましたが、
本来、人の心は健康な身体に宿るもので、その身体を作るものは日々の食事です。
つまりは「食」が人の「心」を作るということ。
コンビニに行けば24時間、調理済みのごはんが手に入ります。
そこにどれだけの方の労力や思いが関わっているのかを、自然がどれだけ関わっているのかということを、
プロセスの見えないものに囲まれて生きている私たちは、感じる力が失われてしまっています。
そうして社会や自然から隔離された環境にいることで、孤独やさみしさを抱えてひとりぼっちのような気持ちになって追い込まれてしまう人がどれだけいることでしょう。
自然と私たちは一体で、すべて関わりあっていて、「生かされている」のです。
土の中で微生物たちが深く関わりあいながら共生しているように、
誰もみな孤独な人というのは存在しなくて、関わりあいながら生きているのですよね。
便利な世の中もいいけれど、ちょっと立ち止まって、昔ながらの農法に還ってみる。そこから学ぶことってたくさんあるのではないのでしょうか。
きっと昔の人は自然と直接触れ合い、天候を見定め、植物が何を欲しているのか「思いやり」、農業を行うことで、人としての心を培ってきたのでしょう。
便利を引き換えに私たちは人としてあるべき心、自然を敬う心も一緒に、置き去りにしてきてしまったように思えるのです。
自然というのは決まった法則もなければ
天候には左右されるし、それを誰かに責任を問うこともできません。
そこに「天候が悪かったからいけないんだ」「もっと収穫をあげなければ豊かになれない」と登場したのが農薬や肥料です。
ですがその農薬で多くの方が健康被害に遭い、土壌や空気が汚染され、排水が汚され、自然を蝕み、伝統食であった大豆の9割をも輸入に頼っているのが今の日本です。
そこに真の豊かさは存在するのでしょうか。
木村さんの本はとっても不思議な本です。
小さい頃に読んだ、心が綺麗で貧しいおじいさんとおばあさんの昔話を読んでいるかのような、
本当にあのころのピュアな気持ちを思い出させてくれる本です。
奇跡を起こす 見えないものを見る力 (扶桑社文庫)
この本の中には、人としての心の在り方が詰まっています。
人間では到底考えのおよぶことのできない自然と真摯に向き合い続け
土の中の微生物やバクテリアという見えないものに答えを見出した木村さんの言葉だからこそ
人が嘘だというような見えない世界のことも心にすっと入ってくるし、霊的な世界があるということも疑いなく信じることができるというか。
いや、そうしたものを見る力があって、常識というものに左右されない木村さんだったからこそ、成し遂げられたことなのかもしれません。