コラム

【編集長コラム】崇めないこと、「統合」してくこと。

 

今回はちょっと自分自身の宗教観を踏まえて、
「宗教って必要なの?」
ってことに関してお話してみます。

 

 

私は元々の家は仏教ですが、私自身は現在無宗教です。
それにはふたつ理由があります。

 

ひとつめの理由は、
偶像崇拝や誰かひとりを崇めることに疑問を感じるから。

 

みだりに人の師となるべからず

みだりに人を師とするべからず

 

これは私の大好きな吉田松陰先生の言葉なのですが、
誰かを盲信するなという教えだと解釈しています。

たとえば絶対的な存在を作ってしまうと、その人の言うこと為すことすべてが「正しく」、
自分自身で思考することをしなくなったり、まわりが見えなくなったりすることがあります。

 

わたしは完璧な存在というのは存在しないと思っていて、たとえいいと思われる【正義】ですら、ある人にとっては【悪】であるかもしれないということは常に意識するようにしています。

 

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私のように、「地球環境と平和のためにお肉の消費を減らしましょう」と訴えかけることは、たしかに動物や地球にとっては好ましいことでも
【畜産業を営んでいる人】を間接的に廃業に追い込んだり、影響力がものすごく強ければ、転職せざるを得なくしてしまう行為でもあるわけです。

もし自分の親が畜産業を営んで自分を育ててくれたのなら、そういった訴えを聞いてとても悲しい思いをする人もいらっしゃるはずです。

表裏一体という言葉があるけれど、いいこと、悪いこと、というのは大小程度の差はあれセットです。

そしてこれはふたつめの理由に繋がってきますが、
こうした「自分の正義」が、争いごとの元になっているということ。

 

宗教戦争なんてものもありますが、なにかを盲信するというのは、その正義を振りかざすことで
人同士傷つけあう結果にもなってしまうことがあります。

でも元々なぜ宗教ってものが存在したのかっていうと、人々を良い方向に導くためであったり、
思いやり、慈愛を養うためであったり、困った人々に手を差し伸べましょうという教えだったり、
元は「愛」がベースで派生したものなんですよね。

 

目の前で今にも崖から落ちそうな人がいる。
ある人は「この人が助かりますように」と必死に祈るが、
ある人はその人を必死に助けようとする。

どちらが「愛」にあふれた行動であるかは明確ですよね。

一部の宗教盲信者を見ていて思うのは、なぜそばに苦しんでいる、困っている人や動物たちがいるのに
祈りを捧げることにばかり時間を使ったり、お布施をしているのですか、ということ。

そのお布施や時間を、必要としている人、地球をよくするために使うことのほうが、私ははるかに大切だし、祈るよりも愛に基づいた行為だと思うのです。
私が特定の宗教に属しないのは、この理由がとても強いです。

でも誤解してほしくないのは、私はブッダも、イエス・キリストも人として心から尊敬しているし
彼らの言葉や生き方は私が自分自身を反省するために、様々な面で気づきを与えてくれています。

 

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私の大好きなアミの本の中に、
【人はみんな神で、愛が宇宙の基本法なんだよ】
って言葉があります。


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アミは、愛のレベルが上がれば宗教というものはすべて統合されていって【愛】という一つの基本法に従って人は生きるようになる。
【国】というくくりがなくなって、混血が進んで人種というものもなくなって、当然争いもなくなって【統合】されていくと言っています。

そういった高次の愛がベースにあった場合、法律というものも必要なくなって、人は自分を自分で裁くようになる。
例えば人に対して悪いことをしたときに、愛のレベルが高い人は、人に裁かれずとも自分自身で苦しむことで自分を罰することができるから。

 

宗教やある種の【崇拝】から争いが生まれたり、誰かを盲信したり
そうした宗教や人にすがることで自分自身が楽になっている、という【自己愛】のみをベースに突き進む考えは
本来の宗教が意味する“愛”の教えからは遠ざかっているのではないか、と思うのです。

 

 

私の前を歩くな 私が従うとは限らない

私の後を歩くな 私が導くとは限らない

私と共に歩け 私たちはひとつなのだから 

(ネイティブ・アメリカンの言葉)

 

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“統合”していくこと、これは今の地球上で最も大切なことだと感じています。

動物愛護のことだけ伝えていても、それはそういった精神の人同士ではつながっていけるけれど、同時にそれにそぐわない他を排除する行為でもあります。

元々は「地球を良くしよう」という愛の考えのもと始まった考え、活動であるはずなのに、その活動のために

「毛皮着てるやつは同じ目にあえ」って怒りばかりぶちまけて人を遠ざけたり敵を増やしていたり、

中には街中をリアルファーを着けているという理由で盗撮してネット上に晒して批判している方もいます。

リアルファーがどうやって作られているか知らないだけかもしれないのに。

それに、いくら自分と意見が合わないからと、この方の権利は侵されてもいいの?と思うわけです。動物のためだからって、他の大切なことが見えなくなっていない?って。

 

海洋汚染や土壌汚染といった環境問題、そこから派生する健康問題、飢餓問題や人の権利に関しては、犬猫、動物に関係ないことだからと切り捨てたり考えようとしない人はけっこう多いです。(本当はすべて同じ問題なのですが。)

 

愛護団体も、「ここの考え方があわないから」と乱立して争って小さな団体ばかりが増えて全く大きなうねりとなっていかないだとかすごく多いですよね。

海外にはPETAをはじめ、大きな団体の力が政界やセレブに影響を与えるほどだけど

日本は特に分裂ばかりしていて影響力というものが全く前進していないような感じを受けています。

 

そうやって分裂していくのではなくって、人権、アニマルライツ、環境保護、精神論、宗教観、すべてつなげて訴えていくことでより多くの人の心に届いていくと思うし
(分裂していては仲間内だけで回覧されるだけになってしまうし)

私たちはみんなひとつの存在で、すべてを統合して一緒に成長していく仲間だという意識を忘れないことは

自分自身の思う平和を実現するにも大切なことだと思っています。

 

 

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